ここひと月ほどの経過

しばらくこの記録を書かなかったのは、母の調子がこのところずっと「ほどほど」に保たれているから。自転車も再び乗れるようになっているようだし、近所付き合いも良好らしい。

 

認知症によくある「抑うつ的精神状態」が母にはまるでなく(この春に「少しおかしいのでは?」と父が気付くまではずっと「鬱っぽい」状態だったので、思えばあれが始まりで、今は次の段階に進んでいるという事なのかもしれない。)とにかくやたらと活動的になっているので、それが認知の刺激となって歯止めがかかっているのかもしれない。

 

今でも不思議なのは、この春に母がご近所のSさんと行った小旅行の事だ。その旅行の数週間前に、たしかに母は「あんな遠い所まで電車で行くのしんどいわ。リンパも取って体もボロボロの病人なんやから無理無理。」と全く行く気が無い素振りを見せていたのに、急にコロっと気が変わったどころか「楽しみやわ~」と大喜びで出かけて行ったのだ。

 

認知症が進む段階で、あれほどがらりと人格が変わったりするのだろうか。まあ「脳が縮んでいる」んだから、しょうがないんだろうけれど。

 

あとは、私と父以外には誰も母の異変に気づいていないというのが不思議でならない。認知症の人は「他人の前ではしゃんとする」とよく言われるけれど、母は友人とランチに行ったりコンサートに出かけたりしている時に、私によくやるように「同じ話を何度もループする」のをどうやってコントロールしているんだろう?

 

母の友人たちも皆60代後半なので、同じ話が続いても「うっかりしてるんだな」くらいにしか思わないのかもしれない。まあ今のところ誰かに迷惑をかけるような事は避けられているので、それは有難い事なんだけれど。

 

最近は、私も母のループに突き合うのにほとほと疲れてしまったので「同じ話だな」と気づいた時は「もう聞いたよ」と伝える事にしている。すると今日はそのやりとりがあった後に母が「あんたはなんでもよう覚えてんな。やっぱり私より若いんやな。」と感心したように言うので「1分前に聞いた話は忘れないよ」と言うと「・・・・へぇ」とわかったようなわからないような声を出していた。

 

普通なら「もうその話は聞いたよ」と何度も言われたら「私は認知症なのかも?」と不安になりそうなものだけれど、母は全くそれは気にしていないようだった。時々財布や携帯をどこかに置き忘れた時に「もう私も認知症やわ」と笑いながら言ったりするのだけれど、それはあくまでも母にとって「ジョーク」でしかないようだ。

 

母をいまだにちゃんと病院で診てもらっていないのだけれど、それというのも「この状態で認知症かどうか判断ができるのか?」という疑問と、認知症の有効な治療薬とされる「アリセプト」が「抑うつ状態の人を活動的にさせる薬」だという事がひっかかっているから。これ以上活動的になられたら心配の種が増えるだけだ。

 

もちろん「アリセプト」以外の薬の事も調べてみたのだけれど、それも似たような効能だったり、対処療法的に使用されているようだった。うちの母のようなタイプの認知症に投薬治療の意味はあるんだろうか・・・・と考えてしまう。

 

そもそも母の認知症の引き金となっているのが、乳がん手術の際の「麻酔」だったんじゃないかと思っているので、これ以上薬剤を母にはあまり飲ませたくない・・・・というのが正直なところ。

 

麻酔だけじゃなく、母が常用している睡眠導入剤抗がん剤(女性ホルモン阻害薬)も副作用として記憶障害や健忘が出ることがあるらしい。結局どれが悪いのかよくわからないけれど、加齢でそもそも脳がモロくなっている母にはどんな薬もあまり良くはないんじゃないかと思ってしまう。(抗がん剤も本当は止めさせたいくらいだ。)

 

母が活発な状態のままなら、認知のレベルもこのまま保てるかもしれない。ただしこれから梅雨がやってくる・・・・・外出できなくなったり母の好きな園芸もしばらく一休みとなると、これからの事が少し心配になっている。