猜疑心

先日は母の誕生日だったので、母が欲しがっていたフランク永井のCDをプレゼントする。それに対する感謝のメールは3通も届いたけれど、内容は比較的まともだった。叔父の葬儀だったり、なんやかんやでバタバタしていたのが刺激になったんだろうか?

 

私は母の症状を「前頭側頭型認知症」ではないかと思っていたのだけれど、アルツハイマーでも母のような「人格の変化」は現れるらしい。2年前の「うつ病」(だと周りは思っていた)が認知症の初期症状なら、この「ハイパーアクティブ」な状態の母はもう少し症状が進んでいると思われる。その割には見当識がしっかりしているような気がするのだ。

 

自分で買い物もできるし、家にも自力で帰ってこられる。「お悔やみの手紙を送っておいてほしい」と頼まれた叔母の住所が書かれた手紙がうちに届いたけれど、母の字でちゃんと宛名も住所も間違わずに書かれていた。(内容はとっちらかっていたけれど)

 

ただ、はっきりしているのは「何度も同じ話を繰り返す」のと「他人への猜疑心がとまらない」という事。まあでも後者は母の性格のような気がするのだけど、それを私に対して隠さないというのはやっぱり変だ。

 

私はもうあまり母と口をききたくないのだけれど(ストレスがたまるだけだから)話さないよりは誰かと話す方が脳の刺激になるのでは・・・・と一縷の望みをかけて、なるたけ毎日電話するようにしている。

 

だが何度も同じ話を聞くのは本当につらい。母が何度も言う「地元で買ったニューバランスはクズみたいな代物やった」は、どう考えても100%母が悪いのに(「色が気に入らない」「歩いてると靴の先っちょが丸まってきて苦しい」←明らかにサイズミス)スニーカーに対して(というよりも、そんな代物を売っている地元に対して)罵詈雑言が止まらない。

 

それを私が「サイズを間違えてるんちゃうか」と指摘しても、それに対する返事はない。「あぁ?とにかくあんな靴あかん!」の一点張り。ネガティブなループは特にしんどい。

 

今日は母に良くしてもらっている、ご近所のSさんの事まで悪く言い出したので、私もついキレて意地悪な対応をしてしまった。「お母さんの世界では、みんなが悪巧みしてるんやね」とチクリと。

 

すると母はお得意の「聞いて!」を連発しながら(それでなくても、母との会話は『母の話を私がただ聞いてるだけ』の一方通行な代物なのに)自分が私の言うように腹黒い人間なら、こんなに友人はできないだろうと。そしてもし仮にそういう腹黒い人間だったとしたら、それは結婚してこんなクソみたいな場所(&クソみたいな住人)に住まわされた事でそうなったのだ・・・・と。

 

この辺で夫が帰宅したので、無理やり切り上げて電話を切ってしまった。一応声を無理やり明るくして「CDでも聞いてゆっくりリラックスしてな」と労わるような言葉をかけたつもりなのだけど、母はこういう「不穏な会話」を決して忘れない。この影響がもしかしたら出てくるかもしれない。