叔父の葬儀

一昨日は夫が夜勤明けだったので、昼過ぎに起きてから携帯を見ると父親からの着信が。「いよいよ母が何かやらかしたか?」と思い慌ててかけ直すと母が出る。「兄ちゃん(私の叔父)が危篤なんよ。それでもう私もお父さんも大阪に来てて今病院におるから、悪いけど今夜の宿を予約しといてもらえへん?」と。

 

母の兄は数年前から患っていて、母にとっては唯一の肉親になる叔父の病状を母はいつもいつも気にかけていた。「兄ちゃんの事を考えると泣けてくる」と落ち込んでいたことも多かった。

 

しかし、母の声はあっけらかんとしていた。久々に親戚に会えたのと「夢のふるさと」に帰ってきたのがうれしいらしく電話の声ははずんでいた。

 

私はとりあえず駅近くのホテルを2泊押さえて父にその旨をメールした。そのまま叔父は早朝に亡くなったらしい。母は一人で始発の阪神電車に乗り(普段あまり歩きなれない父はすでにダウン気味だったらしい)ホテルから尼崎の病院まで行ったようだ。「早朝やから寝ぼけて一つ先の駅まで乗り過ごしてんよ!」と笑っていた。

 

叔父が亡くなって一日置いてからお通夜~葬儀という流れになったので、翌日の空きの日に合流しようかという事になった。駅近くのモールで待ち合わせしてMujiのカフェで軽食をとることになった。

 

母はやはり3分前の話を何度も繰り返していた。宿泊したホテルのレストランで隣り合わせた席の会話に割り込み、自分の話をしたんだとか。「医療の話ばっかりしてるから『お医者さんですか?』って聞いてしもてん」

 

母はこのところ、誰彼問わず会話をしたがる。異様に人懐こいというか、幼い頃の弟を思い出す。母と弟は顔も性格もよく似ている。

 

その日はもう外で夕食を食べるのは億劫だというので、近くのデパートでお惣菜を買ってホテルで食べる事にすると言う。それでデパ地下に行くと母が前から食べたがっていた「まい泉」(地元には売ってない)を見つけて、もう発狂するんじゃないかというくらいに大興奮。電光掲示板を見つけると走り寄って「(その広告に出ている人)私この人嫌いや」と、とにかく感情の抑制が効かない。

 

この日もそうだけれど、母は「最近ものすごいお腹へるねん」とやたらと食べたがる。これもやっぱり認知症の症状だろう。あと時間の間隔がどんどん狂っているのか、ほんの10日くらい前に「美容院に行ってきた」と話していたのに、ホテルの近くの1000円カットの美容院で散髪したのだと言う。「こないだ髪切ったところやんか」と私が言うと「いや1か月くらいは経ってるで」と譲らない。

 

私はこのところ体調が悪く、叔父のお通夜と葬式の出席は辞退することにした。葬式が終わった頃に母から2回に分けてメールが届く。

 

まずは1通目

「今日、お葬式が、済んだら、かえるね、○○(弟の名前)が、都会のビジネスマンに見えたわ! 演出の効いた、OHPの」

 

2通目

「故人に向けてよ! けわい師がメイクしたりよ! 絵葉書で良いから、お悔やみの言葉を示してください。」

 

これまでの中でもかなりパンチの効いた支離滅裂メールが届く。母もさすがに疲れてきたのだろう。それにしても、メールを打っている最中に浮かんだ言葉を全部伝えたくてたまらないという「尋常じゃないせっかちさ」は母をますますキチガイに見せる。

 

「お悔やみの~」の部分を考えてみると、普通だったら叔父さんの遺族に送るのが筋だろうけれど、母の場合「被害妄想」も考えられる。

 

私が体調不良により叔父の葬儀を欠席→「なんであの子来てへんねん」(私が欠席している理由を母が忘れる)→「なんで、うちの兄ちゃんの葬儀に来えへんのよ!まず私に対して失礼やわ!せめてお悔やみの電報くらいくれたらええのに!」という思考回路が今の母なら十分にありうる。

 

それで一応「お悔やみは誰に送るの?」とメールしてみると「兄ちゃんの家族によ!アドレスは帰ったら知らせるよ。」と返信が。そうよね、まだそこまでキチガイじゃなかったか。それは失敬。

 

母のメールの文面がだんだん乱れてくるので、それを考えるとどうしても気分が暗くなってしまう。とりあえず、今はまだメールが打てる状態にあるのは良しとするべきなのか。