半年ほどの経過記録 後編

Tさんは7~8年前から母と仲良くしてくれている友人の一人。スパで話をしたのがきっかけで、一緒に旅行したり家に招いてくれたりする寛大な女性だ。(というのも、あの攻撃的な性格の母を受け入れてくれている時点でそう思える)ご自身も持病があるので、母の病気の事も理解してくれるし、母も健康な人間から何か言われるよりはTさんの言葉の方が素直に受け入れられるようだ。

 

しかし母が今のような状態になってからのTさんとの旅行は初めてである。多少不安はあったけれど、母は行きたがっているし好きな事をする方が刺激にもなっていいのかもしれないとTさんにお任せする事にした。Tさんが「京都に行くなら大阪も周りたいし、あなたも娘さんに会いたいだろうから大阪にも泊まろう。」と言うので、それなら大阪に泊まる日には3人で会おうという事になった。

 

叔父の葬儀で来阪した時以来なので、母とはさほど「久しぶり」という感じではなかったのだけれど、その叔父の葬儀で来阪した時に母の様子におかしな所が(外見的に)あったのを思いだした。異常にチークを塗っているのだ。

 

そういえば、それは祖母の葬儀でも同様だった。「顔が赤いな」とは思っていたのだけれど、あの時は時期的にも会場も寒かったので、毛細血管による「赤ら顔」だと思い込んでいた。多分あれもチークの塗り過ぎだったのだろう。

 

それで叔父の葬儀の時に「ちょっとチークが濃すぎておかしいわ。そんなに全面に入れんでもいいし。」と注意すると「安物のチークが悪いのだ!」と母お得意の「責任のなすりつけ」が始まったので、それにうんざりしたのも覚えている。

 

それで、今回会う時はどうなっているのか・・・・と多少心配していたのだけれど、数か月ぶりに会った母の顔はさほど赤くはなっていなかった。一応私の助言は聞き入れてくれたらしい。(もしくは文句を言われた事に腹が立って、そのチークを即ゴミ箱行きにしたか)Tさんと3人でお茶を飲んで、たまたま先日NHKでやっていた腰痛治療の話で私とTさんが盛り上がったいると、その間母はなぜか呆けたような顔をしていた。

 

TさんからSさんの話(TさんもSさんが認知症だと知っている)が出て「どうなるんやろうね、お家の人は大変やね」とTさんが言うと、母はなんとなく決まりが悪そうな顔をしていた。自分がSさんの変化に気づかなかったことを「バツが悪い」と思っているのかもしれない。

 

しばらくして母とTさんはホテルに向かうので駅で別れて、そのまま滞りなく旅行を満喫したと後に電話で教えてくれた。Tさんは母の不調にどうやら気が付いていないらしい。まあ人前では母も気を張り詰めているだろうし、2泊3日の旅行くらいでは気が付かないものなのかもしれない。

 

それからは、祖母の遺品整理で祖父母宅を往復したり(祖父は生きているけれど、足腰が萎えて施設で暮らしているので、二人の家は空き家になっている)忙しさもあって、さほど強い症状は出なくなってきた・・・・・ように見えている。ただ相変わらず私との電話は20分ほどで切り上げようとするし、アラを見せないように本人が隠している可能性もある。

 

それと朝晩の気温が下がるようになったきた頃から、電話の際に母から少し言葉が出なくなり始めているように感じる。この感じは祖母が亡くなる前の頃と似ているけれど、あの時ほど言葉がつかえるようでもない。気温と脳の血流量が関係してる?ような気もするので、これから本格的に寒くなってきたら症状がひどくなる可能性がある。

 

母の「認知症っぽい行動」のトップは「話のリピート」なのだけれど、どうやらこれが「興奮しながら」話すとリピート出現率が高くなるという事に気づく。穏やかに落ち着いている時は繰り返さないのだ。この症例はADHDにも見られるようで、そういえばもともと母はADHDっぽい所があるという事を思いだす。聴覚の刺激に異様に敏感で、耳栓をして生活した方が安心できるんじゃないかと思った事があるくらいだ。

 

母の「認知症っぽくない行動」の一つは、最近よく読書しているらしいという事。集中力が回復してきたのだろうか? 以前に母が「日記をつける」と言い出したことがあって、とりあえず何を書いたらええんやろ?と聞くので「記録として、3食何を食べたのか書いておいたら?」と言うと「いっぱいあるからとても3食書くのは無理や」と言われた事がある。あの頃は特に母が「躁病」のような状態で、とりあえず何でもやりたがるのに集中力が続かないという、まるで小学生の子供と話をしているみたいだった。

 

最近はむしろ90歳くらいのおばあさんと会話しているような気分になる。