ことの顛末(2)

私はとりあえず、これまでの経緯をまとめたレポートのようなものを書き、それをカウンセリングの際に見てもらうようにと父に託した。躁うつ病患者の家族がいる方のブログを参考にして、そういうものがあるとカウンセリングしやすいという意見があったのでそれに倣ってみる。

 

私も父も「これは精神病という程の病気ではありません」と診断されることを恐れていたので(母が医者の前で巧く取り繕う可能性もある)しっかりとポイントを抑えつつ、なるべく簡潔に見えるよう時間をかけてレポートを書いた。以下が実際に提出したものになる。

 

<母の病状の経緯>

*2013年の11月に乳がんの手術を受ける。それから間もなく放射線治療が始まり、その最中に鬱のような症状を本人が訴える。

 

家族と相談して、心療内科で投薬治療を受ける。(その時はデパスを飲んでいました。)それから鬱症状を訴えることは表面的には無くなりました。

 

*2015年の1月頃、極端に言葉数が少なくなる。電話の声もいつも眠たげでした。それが徐々に、電話の声が明るくなり饒舌になっていきました。

 

その年の3月頃に祖母が亡くなり、その葬儀で久々に母と顔を合わせると、母はかつて見た事がないほどハイテンションで、しかも異様に化粧が濃くなっていました。父によると、この頃すでに妄想と錯乱が始まっていたそうです。

 

*この頃から多弁すぎる母と話がかみ合わず、喧嘩になってしまうのでしばらく電話をしませんでした。それから4か月ほど経って、少し落ち着いて話ができるようになりました。それがその年の7月頃だったと記憶しています。

 

*2016年の2月末頃から、また母から少し意味不明なメールが届くようになりました。それからは速いスピードでどんどん母と会話が成り立たなくなり、こちらから何を言っても母は「ああ言えばこう言う」状態で何も聞き入れなくなりました。

 

そして先日、4月13日に「近所の人が電波を使って、世界中に自分の娘や息子の悪口を広めている」と錯乱し、近所の人に暴行を加えました。


<母の症状>

*春が近づくとおかしくなるようです。性格も高圧的になり、尊大で、人を見下したような態度をとります。目に入った情報や思いついた事をそのまま口にするので、会話やメールが支離滅裂です。注意力が散漫で、同じ話を何回も繰り返します。

 

*この時期になると「やっと本心が言えたよ!」というメールが届きます。それと毎日「しあわせ~」「うれしい~」と多幸感を口にします。近所の人を暴行した後も「しあわせ~」というメールが届きました。

 

*外部から刺激に過剰に反応します。テレビで飛行機を見ただけで「テロよ!」と叫んだり、少し空が曇ってきただけで「この世の終わりだ!」というような興奮状態に陥ります。

 

*「世界中の人間はみんな私の味方」と言う反面で「誰かが私を陥れようとしている」という妄想にも囚われているようです。

 

*去年の春よりも今年の方が錯乱がひどくなっています。夜の7時頃に母が電話をかけてきて「そちら(大阪)は今何時なの?」と言ったり、興奮がひどくなると娘の名前も何もかも分からなくなります。

 

<その他の注釈>

母はずっと前から導眠剤マイスリー)を服用していますが、夜にちゃんと眠れているのかは疑問です。本人は「眠れている」と主張するのですが、母の寝室からよく「怒鳴り声のような大声で、はっきりとした寝言」が聴こえてくるからです。

 

母の元来の性格は、どちらかというと真面目で融通が利かず、常識的な考えや生き方に沿って生きるべきだというような人です。

 

 

 この中でポイントなのは「化粧が濃くなる」「多弁」「高圧的で人を見下したような態度」「妄想」「睡眠不足の可能性」で、これが躁うつ病の典型的症例に特に当てはまっている。

 

あと調べていて意外だったのは躁うつ病の人が躁状態になると「やっと本心が言えた」というのも「あるある」だという事。ここからは私の推測だけど、人間が社会生活を送るうえで重要なフィルター(=物を考えて、それを口に出すという行為の間にあるもの)が壊れていると、フィルターを通さないことが「手っ取り早い=快感」なので、それを「本心が言えた」とカン違いしているのではないかと思う。その証拠に、母の「本心」の中身はまるで空っぽなのだ。

 

母は癌が発覚してから、父に対して特に攻撃性が強くなっていった。八つ当たりにしてはピンポイントに相手が傷つくような事を言うし、とにかく誰かを非難せずにはいられないというのも、今にしてみれば「うつ病」の症状だった気がする。

 

人は誰かに対して説教したり正論をかざして相手を抑え込むと、それだけで脳内麻薬物質が分泌されるらしい。だからそれをせずにはいられないという事は、脳が快楽を求めて死にもの狂いでそれを宿主(?)に行わせていたとも考えられる。つまり母はもうその時点でうつ状態だったのだろう。

 

私のレポートや弟の提出した「母からのキチガイメール」という「証拠」の数々が効いたのか、母の「私はマトモですのよ」作戦が失敗したせいなのか(医者からの色んな質問に答えていくうちに、だんだん支離滅裂な会話しかできなくなった)プレカウンセリングの結果は見事「精神科で治療する必要があります」と「精神病」である事に太鼓判を押される形で終わった。

 

私は入院が必要なのではないかと思っていたけれど、翌日の精神科の問診では「弱い薬から始めて、しばらく通院しながら様子見」という事になった。とりあえず薬が出された事で家族も安心して、その日は久しぶりに全員ゆっくり眠れる・・・・・はずだった。