ことの顛末(3)

翌日、起床して携帯を見ると父からのメールが3通届いていた。最初の1通は深夜に。その後の2通は早朝になっている。

 

内容は「母が急変した」「今から病院へ行きます」「とりあえずこちらに来てほしい」というもの。間の悪い事に、私は体調が最悪だった。睡眠不足と風邪(4月頃になると毎年ひどい風邪をひく)ですぐには動けそうにない。

 

とりあえず父に今どういう状況なのか聞いておきたかったので、ひとまず電話をかけてみる。やっと父に電話がつながると、どうやら母は昨晩、警察沙汰になるような事件を起こしたようだった。

 

まず最初に、母がまた妄想で「Sさん(ご近所に住む母の友人。パーキンソン病から認知症を患っている)が自宅で死んでる!」と勝手に警察を呼んだそうだ。母はSさんがあちこちで借金をしているので、それが返せないことを気に病んで自殺しているのではないかと思ったらしい。

 

それで父が警察の人に平謝りして、一旦落ち着かせたのでもう大丈夫・・・と思っていたら、数時間後に母が自宅の2階の窓から食器を投げ始めたそうだ。当然、近所の人が驚いて警察に通報した。幸い怪我人が出なかったのでよかったけれど、もし投げた食器が当たっていたら・・・・と思うとゾッとする。

 

それで父が病院の方に連絡して事の次第を説明すると「即入院させましょう」という事になり、手続きを済ませて母を入院させてきたとの事だった。

 

私を呼んだのは、その入院に関する手続きがやたらと煩雑で、父が自分一人でこなせるかどうか不安だったので「とりあえず来て」とメールしたらしい。だけど病院の職員の人に聞きながらとりあえず手続きの方は完了したので、そんなに急いで来てくれなくてもいいよとのこと。

 

幸い、父は日常の家事くらいなら一人でこなせるので、当面は大丈夫だろう。ただ母が暴れた後の家の周辺の片付けや、父一人でしばらく生活するためのベース作りが必要そうなので、近いうちに実家に帰ることになると思う。

 

母の行動はまるで「アドレナリン・ジャンキー」のようだと思う。とにかく興奮したくて警察を呼び、窓から食器を投げ、家族に悪態をつきまくる。躁うつ病は「脳の機能障害」が原因と言われているけれど、私には母の元来の性格が原因のように思える。

 

母は昔から人を信用しない。その割に依存心が強く、家族にはやたらともたれかかってくる。こちら(家族)の気持ちなどお構いなしに。これは躁うつ病以前に「人格障害」なのではないだろうか。

 

他人の気持ちはくみ取りたがらないのに、自分の気持ちはくみ取って欲しいなんて、そんな甘えが許されるのはせいぜい小学生くらいまでだろう。いい年をした女性がやっていい事ではない。

 

この事をもし母に伝えたとしたら「なんでそんな事を、こんなにも『かわいそうな私』に言うのよ!」とキレるだろう。母は絶対に「被害者である私」というポジションを譲る気はない。それはもう目に見えている。

 

 

 

 

 

 

ことの顛末(2)

私はとりあえず、これまでの経緯をまとめたレポートのようなものを書き、それをカウンセリングの際に見てもらうようにと父に託した。躁うつ病患者の家族がいる方のブログを参考にして、そういうものがあるとカウンセリングしやすいという意見があったのでそれに倣ってみる。

 

私も父も「これは精神病という程の病気ではありません」と診断されることを恐れていたので(母が医者の前で巧く取り繕う可能性もある)しっかりとポイントを抑えつつ、なるべく簡潔に見えるよう時間をかけてレポートを書いた。以下が実際に提出したものになる。

 

<母の病状の経緯>

*2013年の11月に乳がんの手術を受ける。それから間もなく放射線治療が始まり、その最中に鬱のような症状を本人が訴える。

 

家族と相談して、心療内科で投薬治療を受ける。(その時はデパスを飲んでいました。)それから鬱症状を訴えることは表面的には無くなりました。

 

*2015年の1月頃、極端に言葉数が少なくなる。電話の声もいつも眠たげでした。それが徐々に、電話の声が明るくなり饒舌になっていきました。

 

その年の3月頃に祖母が亡くなり、その葬儀で久々に母と顔を合わせると、母はかつて見た事がないほどハイテンションで、しかも異様に化粧が濃くなっていました。父によると、この頃すでに妄想と錯乱が始まっていたそうです。

 

*この頃から多弁すぎる母と話がかみ合わず、喧嘩になってしまうのでしばらく電話をしませんでした。それから4か月ほど経って、少し落ち着いて話ができるようになりました。それがその年の7月頃だったと記憶しています。

 

*2016年の2月末頃から、また母から少し意味不明なメールが届くようになりました。それからは速いスピードでどんどん母と会話が成り立たなくなり、こちらから何を言っても母は「ああ言えばこう言う」状態で何も聞き入れなくなりました。

 

そして先日、4月13日に「近所の人が電波を使って、世界中に自分の娘や息子の悪口を広めている」と錯乱し、近所の人に暴行を加えました。


<母の症状>

*春が近づくとおかしくなるようです。性格も高圧的になり、尊大で、人を見下したような態度をとります。目に入った情報や思いついた事をそのまま口にするので、会話やメールが支離滅裂です。注意力が散漫で、同じ話を何回も繰り返します。

 

*この時期になると「やっと本心が言えたよ!」というメールが届きます。それと毎日「しあわせ~」「うれしい~」と多幸感を口にします。近所の人を暴行した後も「しあわせ~」というメールが届きました。

 

*外部から刺激に過剰に反応します。テレビで飛行機を見ただけで「テロよ!」と叫んだり、少し空が曇ってきただけで「この世の終わりだ!」というような興奮状態に陥ります。

 

*「世界中の人間はみんな私の味方」と言う反面で「誰かが私を陥れようとしている」という妄想にも囚われているようです。

 

*去年の春よりも今年の方が錯乱がひどくなっています。夜の7時頃に母が電話をかけてきて「そちら(大阪)は今何時なの?」と言ったり、興奮がひどくなると娘の名前も何もかも分からなくなります。

 

<その他の注釈>

母はずっと前から導眠剤マイスリー)を服用していますが、夜にちゃんと眠れているのかは疑問です。本人は「眠れている」と主張するのですが、母の寝室からよく「怒鳴り声のような大声で、はっきりとした寝言」が聴こえてくるからです。

 

母の元来の性格は、どちらかというと真面目で融通が利かず、常識的な考えや生き方に沿って生きるべきだというような人です。

 

 

 この中でポイントなのは「化粧が濃くなる」「多弁」「高圧的で人を見下したような態度」「妄想」「睡眠不足の可能性」で、これが躁うつ病の典型的症例に特に当てはまっている。

 

あと調べていて意外だったのは躁うつ病の人が躁状態になると「やっと本心が言えた」というのも「あるある」だという事。ここからは私の推測だけど、人間が社会生活を送るうえで重要なフィルター(=物を考えて、それを口に出すという行為の間にあるもの)が壊れていると、フィルターを通さないことが「手っ取り早い=快感」なので、それを「本心が言えた」とカン違いしているのではないかと思う。その証拠に、母の「本心」の中身はまるで空っぽなのだ。

 

母は癌が発覚してから、父に対して特に攻撃性が強くなっていった。八つ当たりにしてはピンポイントに相手が傷つくような事を言うし、とにかく誰かを非難せずにはいられないというのも、今にしてみれば「うつ病」の症状だった気がする。

 

人は誰かに対して説教したり正論をかざして相手を抑え込むと、それだけで脳内麻薬物質が分泌されるらしい。だからそれをせずにはいられないという事は、脳が快楽を求めて死にもの狂いでそれを宿主(?)に行わせていたとも考えられる。つまり母はもうその時点でうつ状態だったのだろう。

 

私のレポートや弟の提出した「母からのキチガイメール」という「証拠」の数々が効いたのか、母の「私はマトモですのよ」作戦が失敗したせいなのか(医者からの色んな質問に答えていくうちに、だんだん支離滅裂な会話しかできなくなった)プレカウンセリングの結果は見事「精神科で治療する必要があります」と「精神病」である事に太鼓判を押される形で終わった。

 

私は入院が必要なのではないかと思っていたけれど、翌日の精神科の問診では「弱い薬から始めて、しばらく通院しながら様子見」という事になった。とりあえず薬が出された事で家族も安心して、その日は久しぶりに全員ゆっくり眠れる・・・・・はずだった。

ことの顛末(1)

母の病気がどうやら躁うつ病らしいと気付いてから(といっても、あまり「うつ」の方は思い当たらないのだけれど)私はなるべく母からの電話やメールを無視するようにした。どんな反応をしようが興奮させるだけなのだから、相手をしても意味がない。

 

ある日、私が外で買い物中に携帯が鳴った。時間的にたぶん夫からだろうとつい相手を確かめずに出てしまうと、こちらが何度も「もしもし?」と言っても返事がない。私も苛立って「もしもし!」と怒鳴りつけると「聴いてる!」という母の声。しまったと思った。

 

母は「聴いてる!あんたの声は覚えてるよ!」と相変わらず一方的な言い分をまくしたてていたけれど、私はこれ以上の話を阻止するために「今外出先で忙しいの!じゃあね!」とこちらも一方的に電話を切った。

 

母からその夜にまたキチガイメールが届いた。内容は「今夜はお花見🌸祇園で~🌸昔は文学少女やってんよ🌸💊がまともにしてくださいます」というもの。もちろん、母は祇園になど居ない。この時点では精神科にも行っていないので「💊」が何の薬を意味するのかもわからない。

 

その後も「しあわせ~」「結婚してここに来てよかった~」などという内容のメールが何度も届いた。私はさすがにもううんざりしてきて、携帯もメールも母からのものはすべて着信拒否に設定した。

 

事件が起きたのはどうやらその夜だった。翌日、伯母(母の義姉)から連絡があり「○○ちゃん(←母の名前)から深夜の1時頃電話があって、それから意味不明なことを一人でまくしたてて、なんか近所の人に暴行したみたいな話もしてたんよ。ちょっとおかしいと思う。」とのこと。

 

伯母にはひたすら謝って、たぶん躁うつ病ではないかという話をした。そして「心苦しいとは思うのですが、母からの電話は無視してください」と伝えておいた。幸い、伯母の娘は総合病院の看護婦長をしているので、そう言えば後は彼女が補足説明してくれるだろうと思う。

 

問題は「暴力をふるった」の方だ。父もさすがにこれ以上放置しておけず、母を病院に連れていくという連絡が入る。

 

母の主治医がいる乳腺外科にまず連絡をして、それから乳癌の影響が他の個所に及んでいるかどうかをまずチェックしてもらう。そして体の方は全く異常無しという結果に。

 

次に「プレカウンセリング」を予約してもらう。これはまずカウンセラーに「どれくらいの精神状態の不良なのか、そしてどこで治療するのが最適なのか」を見極めるためのものらしい。まあ私たちは素人判断で「躁うつ病」と思っているけれど、プロの医者がチェックするとまた違う病気の可能性もあるのかもしれない。

 

しかし「近所の人に暴力をふるった」という話を父から詳しく聞くと、どうやら母は「近所の人が電波を使って、自分の娘や息子の悪口を広めている」と思い込み、近所の人の家までわざわざ出向き、その人の首を絞めようとしたそうだ。

 

「電波」って・・・・「キチガイあるあるワード1位」のアレかあ~と脱力してしまう。これでカウンセリングで「精神疾患はありませんよ」と言われたらたまったもんじゃない。何がなんでも精神科で受診させないと!と強く思った。

 

 

母の中の悪魔

私はしばらく母とは距離を置くと決め、父に躁病の簡単な説明と「なるべく刺激しないように離れて」というアドバイスをメールで送った。幸い、父はすでに家庭内別居のような生活をしているらしく「なるべく顔も合わせないようにしているので安心してください」とのこと。

 

そうなると、なぜ先日母は「たすけてー」というボイスメールを送ってきたのか。私はてっきりまた、父が母に向かって「頭がおかしい」と言い続けて母がブチ切れたんだろうと思っていたのだけれど、そもそも顔を合わせていないようだし、口論していた様子もなさそうだ。

 

となると、これはやっぱり「こちらを混乱させるための罠」に思えてならない。「Sさんが私の義母に電話しようとしている」のも「母が今危険な目に遭っていることを匂わせるSOS」も、どれもこれも私が慌てて母に連絡することを想定して練られた嘘なのではないかという気がする。

 

人に迷惑をかけることも嘘をつくことも平気になってしまった母。父は母が躁病ではなく「元来の性格が出てきただけだ!ただの性悪だ!」と言い続けていたけれど、本当にそんな風に思えてしまうほど、母は「相手が一番嫌がる行為・発言」をピンポイントに突いてくる。

 

私はもう母からのボイスメールも何もかも開かないようにしようと決めた。心がかき乱されるだけで、何の役にも立たないガラクタに向き合う必要はない。

 

今朝、携帯を見るとまた母からのボイスメールが入っていた。いつもボイスメールを送ってくるのは夕方以降なので、今回こそは何かまともな言葉が聞けるかもしれないと一応聞いてみることにした。

 

そこには「お父さんと連絡がとられへんねんけど~まあ、大丈夫やろうけど~」という相変わらずふわふわした内容のボイスメールが入っていた。私は父が今日一人でドライブに出かけることを知っていたのだけれど、母には何も言わずに出て行ったのか、もしくはまた母が忘れているか・・・・・

 

だけど、これもまた母が「お父さんがいなくなった!」と私を慌てさせる罠のようにも思える。「お父さんがいなくなったので探してほしい」という感じでは全然無くて、電話相手の不安を煽るだけ煽ってみたという感じの物言いだった。

 

私は「忙しいのでまた」とメールして済ませた。それからは何の反応もなく、珍しく夜になるとかかってくる電話やメールや留守電の類もこの日は全くかかってこなかった。

感情を喰う病

躁病の治療には「カウンセリング」というものはなく「投薬」でしか症状は改善されない・・・・という事を知り、私が「せめて母の支離滅裂な話を聞いてあげることでストレスが減り症状が緩和されるかも」と思っていたことが全くの無駄足だったことがわかった。そして話せば話すほど母は自己中心的になり、自分の話に興奮していることが見えてきた。

 

そして何よりの発見は「この病は相手の感情を吸い取って、自分の病の養分にしてしまう」という事。父や私が母に反論したり怒りを見せると、それに呼応するように母も「私が世界一かわいそうなヒロイン病」を発動しはじめる。鏡のように全く同じテンションで。

 

私が母との会話に疲れてしまい「傑作やな、ハハハ!」とヤケクソで笑うと、その笑いは母へのあからさまな皮肉であるにも関わらず「もっと笑って!」と言い出した。「あんたが楽しそうやと、うちも嬉しいわ!」

 

これで母を説得するのは不可能だということがよくわかった。こちら側が疲弊するだけで何の解決にもならない。とにかく母が喜ぶエサ(=感情)を与えてはならない。

 

私はしばらく母とは会話しない事に決め、今日はメールも送らないでおこうと思っていた。だがいつもの私からのメールが来ないのを不審に思ったのか母から電話とメールが送られてきた。(電話の方は出なかった)

 

メールの内容は「いきてるよ」と。ここで興奮させてはいけないので私もなるべく短い言葉で・・・・と熟考して「わかりました。」と返信する。すると母からは「これで、ええんよ(と絵文字、意味がわからないけれど多分『お願い』みたいなやつ)」という返信が。

 

私の「わかりました。」というメールを、母は「病院になんか行かずに面白おかしく過ごしている私を認めてくれたんだ!よかった!」と曲解したのではないかと思った。

 

こんな短いメールをよくもまあ自分に都合よく解釈できるもんだ!と思わずカッとなり電話しそうになったけれど(何度もメールを書いては送信寸前で破棄した)グッとこらえた。

 

母は夕方の6時頃から8時頃になるとおかしな電話やメールを送ってくる。母は普段どうやら9時くらいに就寝しているようなので、その頃になると常用している導眠剤の影響なのか、余計にタガが外れたようになってしまう。

 

今日は9時頃に携帯に着信があり、それが1分おきに3本。しかもすべてボイスメール付き。嫌な予感しかない。

 

仕方なく聴いてみると、そのどれも「もうこの家には居られない、たすけてー」という母の声が入っていた。妙なのは、そんな内容なのに母が「小声」だったこと。父に聞こえないように配慮していたのかもしれないが、感情的になっている人がそんな事まで考えるだろうか?

 

私の勘では、これは「狂言」だ。父から実際に叱られたのかもしれないが、それにしては声に感情がこもっていない。私がメールも電話もしないことに腹を立てている?

 

先日、私と母が大喧嘩したのもこれが原因だった。私はその時点でもう「母とはしばらく距離を置く」と決め、適当に「今日は疲れたので電話しません」という内容のメールを送った。

 

すると母から「了解よ!ところでSさんがアンタの旦那のお母さんと話がしたいって言うんよ。電話するかも。」というメールを返してきた。

 

Sさんとは、この日記にも以前書いたけれど母と懇意だったご近所の女性で、パーキンソン病から認知症を発症してしまったのだけれど、母とは相変わらず付き合いがあるようだった。認知症なのでお金や衣類に執着があって、それを近所で無心しているようだと以前から聞いていた。

 

そんなSさんが私の義母に電話したい理由なんてお金しかないだろう。ほぼ他人の(しかも認知症の)Sさんから電話なんてかかってきたら義母に迷惑をかけてしまう。

 

それで慌てて母に電話すると「なんか知らんけど会いたい、会いたい、言うてるからしまいには会いに行くかもしらんね~」と私が激昂する要素しかない言葉を返してきたので、私もそこでブチ切れた。

 

よく考えてみたらSさんはパーキンソン病なのでそもそも出歩くこと自体が困難だし、電話番号だって教えたところでそもそもかけられない(指が震えるので、登録してある番号しか電話できない)だろう。

 

ではなぜこんな話を突然母が振ってきたのか?と考えてみると、これは母の策略だったのではないかという気がする。私が「義母に迷惑がかかる!」と慌てて母に電話してくるのを計算していたのではないだろうか。

 

もうここまでくると「病気」というより「悪魔の仕業」ではないかとつい思ってしまう。躁病がこんなに恐ろしい病気だったとはまるで知らなかった。鬱よりも遥かに家族を疲弊させる。

 

 

 

 

木の芽時

あれから長い間、母の言動は少し内容が幼稚であることを除けば安定していたように思う。だけど年が明け暖かくなるにつれて、母もまたおかしくなっていった。

 

おかしくなりはじめた最初の頃は「もしかして『木の芽時』というやつではないのかしら?」と思うようになった。去年ほどあからさまに話のリピートも出ておらず、ただとにかく話をしていてもメールでも「しあわせ」というフレーズがやたらと飛び出す。それがまるで躁病のようだと思ったのがきっかけ。

 

春に起こる気分障害を「木の芽時」と呼ぶけれど、母の症状はそれに当てはまるような気がした。去年も夏頃になると会話が落ち着くようになり、秋になると自ら「本が読みたい」と図書館通いするようになった。(ADHDの子どもみたいだったあの母が!)認知症なら季節に関係なく進行するだろうから、もしかすると躁病なのではないかと思うようになった。

 

本当は然るべき場所で然るべき検査を受けてもらいたいのだけれど、母はとにかく頑なに「イヤ!」と幼児のように甘えた(頑固な老婆に甘えられてもこれっぽっちも情けは感じません!)つまり憎たらしい態度で拒否する。ネットで調べてみると「躁病の症状が強く出ている時期に病院へ連れていくのは困難」という意見が多い。何しろ躁病とは「世界で自分が一番賢い」と思い込んでしまう病気なのだ。しかも本人は「楽しくて仕方がない」のだから、その気分をぶちこわすような事をなんでわざわざせにゃならんのだ!という捉え方しかできないようだ。

 

母が「躁病かもしれない」と思う根拠は

  • とにかく毎日が楽しくて仕方がない様子。母特有の「悲劇のヒロイン」病も「ヒロインになるのが楽しいから」やっているのだと気付いた。もう二度とその話にはのらない。
  • 家族に対してものすごく高慢ちきな態度をとる。間違いを指摘すると、去年も言っていた「そういうことにしといたろか~」が口をついて出るようになった。自らの非は絶対に認めようとせず「話が支離滅裂で意味がわからないよ」と言うと「電話はあかんね~」と電話のせいにする始末。
  • 話をしていても、自分に都合の良い受け取り方しかできない。母がおかしくなると昔勤めていた○○商事の話をしはじめるので、嫌味のつもりで「また○○商事の話が出たでえ~」と言うと「今回のコールは私無理よ」と言い始めた。意味を問いただすと、その○○商事時代の同僚が年賀状に「同窓会でもしたいね」と書いていたのを「自分への熱烈コール」だと思い込んでいたようだ。さすがに呆れた。
  • 外部の刺激に過剰に反応する。電話をしていて少し空が曇ってきただけで「いやっ!!なにこれ!!どうなってるの!!(ありえないくらいの大声)」と言い出したり、テレビで飛行機が墜落した映像を見ただけで「テロや!えらいこっちゃ!(大声)」とトンチンカンな反応を示す。
  • 先の件にも重なるけれど、とにかく早合点というか「思考がポンポン飛ぶ」状態のように見える。話のリピートも日増しにひどくなっているけれど、それも「さっき話したかどうか考える」という作業をすっ飛ばしているからなのではないか。思考を整理したり抑制したりする能力が失われてしまっているように見える。

去年よりもひどくなっているのは、やたらとメールや電話をかけてくること。その内容も支離滅裂で、完全に「キチガイメール」なのが厄介だ。そして何より家族が苦しめられているのが「自分は間違っていない」と激しく主張してくること。何から何まで間違っているのは自分の方なのに!

 

母が話をリピートするので、私も「もう聞いたよ」と指摘すると「ハハハ!また出たでえ~あんたのお得意の『もう聞いたよ』か~」とこちらをバカにしきった態度でそう言ったのだ。この事と母が「生き金」という言葉を使った時に、私が普段聞きなれない言葉(そもそも、そんな言葉を使うのは高齢者だけのような気が・・・)なので聴き返すと「い・き・が・ね・よ!リピートアフターミー!」と教師気取りで鼻息荒げる母が本当に気持ちが悪くてゾッとした。

 

母はこの春になってやたらと「娘と母は一心同体」「心がツーカー」と「仲良し親子」を主張したがるのだけれど、そもそも私と母は相性の悪い親子だった。もし同級生だったとしても絶対に友達にならないだろう。

 

私も今回はさすがにブチ切れて「精神科へ行け!」と電話口で怒鳴りつけると、翌日にあまりにも腹が立ったのか「病院に行きます。もう宅急便とか送ってくれなくて良いです。さようなら!」という同じ内容のメールが3通(3分おきくらいに送信されている)届き、その数時間後には何の用事か電話をかけてきたらしい。(私は電話に出なかったけど着信記録が残っていた)

 

しかし、夕方になるとまたご機嫌なキチガイメールが届いた。どうやら自分が腹を立てていたことも忘れているらしい。そして「病院に行きます」は案の定嘘だという事もすぐに判明した。

 

半年ほどの経過記録 後編

Tさんは7~8年前から母と仲良くしてくれている友人の一人。スパで話をしたのがきっかけで、一緒に旅行したり家に招いてくれたりする寛大な女性だ。(というのも、あの攻撃的な性格の母を受け入れてくれている時点でそう思える)ご自身も持病があるので、母の病気の事も理解してくれるし、母も健康な人間から何か言われるよりはTさんの言葉の方が素直に受け入れられるようだ。

 

しかし母が今のような状態になってからのTさんとの旅行は初めてである。多少不安はあったけれど、母は行きたがっているし好きな事をする方が刺激にもなっていいのかもしれないとTさんにお任せする事にした。Tさんが「京都に行くなら大阪も周りたいし、あなたも娘さんに会いたいだろうから大阪にも泊まろう。」と言うので、それなら大阪に泊まる日には3人で会おうという事になった。

 

叔父の葬儀で来阪した時以来なので、母とはさほど「久しぶり」という感じではなかったのだけれど、その叔父の葬儀で来阪した時に母の様子におかしな所が(外見的に)あったのを思いだした。異常にチークを塗っているのだ。

 

そういえば、それは祖母の葬儀でも同様だった。「顔が赤いな」とは思っていたのだけれど、あの時は時期的にも会場も寒かったので、毛細血管による「赤ら顔」だと思い込んでいた。多分あれもチークの塗り過ぎだったのだろう。

 

それで叔父の葬儀の時に「ちょっとチークが濃すぎておかしいわ。そんなに全面に入れんでもいいし。」と注意すると「安物のチークが悪いのだ!」と母お得意の「責任のなすりつけ」が始まったので、それにうんざりしたのも覚えている。

 

それで、今回会う時はどうなっているのか・・・・と多少心配していたのだけれど、数か月ぶりに会った母の顔はさほど赤くはなっていなかった。一応私の助言は聞き入れてくれたらしい。(もしくは文句を言われた事に腹が立って、そのチークを即ゴミ箱行きにしたか)Tさんと3人でお茶を飲んで、たまたま先日NHKでやっていた腰痛治療の話で私とTさんが盛り上がったいると、その間母はなぜか呆けたような顔をしていた。

 

TさんからSさんの話(TさんもSさんが認知症だと知っている)が出て「どうなるんやろうね、お家の人は大変やね」とTさんが言うと、母はなんとなく決まりが悪そうな顔をしていた。自分がSさんの変化に気づかなかったことを「バツが悪い」と思っているのかもしれない。

 

しばらくして母とTさんはホテルに向かうので駅で別れて、そのまま滞りなく旅行を満喫したと後に電話で教えてくれた。Tさんは母の不調にどうやら気が付いていないらしい。まあ人前では母も気を張り詰めているだろうし、2泊3日の旅行くらいでは気が付かないものなのかもしれない。

 

それからは、祖母の遺品整理で祖父母宅を往復したり(祖父は生きているけれど、足腰が萎えて施設で暮らしているので、二人の家は空き家になっている)忙しさもあって、さほど強い症状は出なくなってきた・・・・・ように見えている。ただ相変わらず私との電話は20分ほどで切り上げようとするし、アラを見せないように本人が隠している可能性もある。

 

それと朝晩の気温が下がるようになったきた頃から、電話の際に母から少し言葉が出なくなり始めているように感じる。この感じは祖母が亡くなる前の頃と似ているけれど、あの時ほど言葉がつかえるようでもない。気温と脳の血流量が関係してる?ような気もするので、これから本格的に寒くなってきたら症状がひどくなる可能性がある。

 

母の「認知症っぽい行動」のトップは「話のリピート」なのだけれど、どうやらこれが「興奮しながら」話すとリピート出現率が高くなるという事に気づく。穏やかに落ち着いている時は繰り返さないのだ。この症例はADHDにも見られるようで、そういえばもともと母はADHDっぽい所があるという事を思いだす。聴覚の刺激に異様に敏感で、耳栓をして生活した方が安心できるんじゃないかと思った事があるくらいだ。

 

母の「認知症っぽくない行動」の一つは、最近よく読書しているらしいという事。集中力が回復してきたのだろうか? 以前に母が「日記をつける」と言い出したことがあって、とりあえず何を書いたらええんやろ?と聞くので「記録として、3食何を食べたのか書いておいたら?」と言うと「いっぱいあるからとても3食書くのは無理や」と言われた事がある。あの頃は特に母が「躁病」のような状態で、とりあえず何でもやりたがるのに集中力が続かないという、まるで小学生の子供と話をしているみたいだった。

 

最近はむしろ90歳くらいのおばあさんと会話しているような気分になる。