半年ほどの経過記録 前編

長らくブログから離れていたのだけれど、この半年ほどで色々な出来事が起き、母にも多少の変化が出てきたので、それをまた記録しておこうと思うようになった。

 

初夏の頃に、実家は古い水道管が破裂して大騒ぎになっていた。ちょうどその頃夫の仕事が忙しく、昼夜逆転の日が続いていたので2~3日連絡が取れなかったのだけど、その間にどうやら騒動が起きていたらしい。

 

それでこちらの仕事も目途がついたので、久しぶりに「変わりない?」と連絡すると「大変やったんよ、そっちも忙しそうやったから言えへんかってんけど」と移動中の車中から電話で説明してくれた。なんでも「家中水浸し」なので、色々と掃除や修繕する道具が必要なので、ホームセンターへ向かう途中との事だった。

 

そこでまた例のループが始まった。「3階の水道管が破裂して、その水が全部2階に落ちて、お祖母ちゃんの遺品のタンスやら何やらがもう全部水浸しに・・・・」が3度目のループに入ったので「それ聞いたで」といつものように淡々と指摘すると、母は猛烈に怒りだした。

 

「説明せな状況が分かれへんやないの!」と母は言うのだけれど、理解しているから「もういいよ」とこちらも「お知らせ」している訳で・・・・・ただ、このところ私も母のループには「もう聞いたよ」とストップをかけるようになっていたので、それが母にはストレスになっていたのかもしれない。それがこの騒動も加わって爆発したのではないか。

 

母をこれ以上興奮させないように「ごめんね」とすぐに謝り、その後メールでも「今日はすみませんでした」(謝った事を忘れるかもしれないので念を入れて)謝罪した。その後、しばらくは水道管の工事でバタバタするので電話は要らんわ!と母からメールが届く。

 

怒っているのかな~と思いながらも、言われた通りにしばらく電話は控えておいた。1週間ほど経ってから「電話してもいい?」とメールすると「いいよ」と返事。その時の会話の内容は特に変わったところもなく、怒っている様子でもなかった。とりあえず工事が終わったのでほっとしていたのかもしれない。

 

それからしばらくして、母の電話がやけに短くなっているのに気づいた。今までは放っておくと何時間でも喋り続けそうだったのに、10分くらいすると自分から「ほな、そろそろあんたも自分の仕事しいや」と切り上げてくれるようになったのだ。

 

母は未だに私に腹を立てているのかもしれないが、他にも考えられるのは「自分が何度も同じ話をしているのに気がついて、それを悟られないように話を短く切り上げるようにしている」という事。どっちにしろ複雑だけど、なんせ母と私は「気が合わない」ので真意はわからない。

 

それからまたしばらく経った頃、母の仲良しだったご近所のSさんに異変が現れた。以前、いつもSさんにはお世話になっているからとCDをプレゼントしたのだけれど、そのお礼の電話をくれた時の様子が既に少し妙だった。「いやね~、もう恥ずかしいわ~」と何度も言うので「?」と思っていると「顔がかぶれてしもうて、もう真っ赤っ赤なんよ~」と言う。

 

テレビ電話ならともかく、普通の電話だとこちらには見えないんだから、わざわざ言う必要もないのに・・・・と少し不思議に思ったのだけれど、辛い状況を同情してほしいのかもしれないと思い「大変ですね~早く治るといいですね~」と話を合わせておいた。

 

それからしばらくして、Sさんが母に「○○(→私)ちゃんにこんなんしてもらって悪いわ」と何度も言うので「うちの子もCD買うくらいの余裕はあるんよ、気にせんときよ!」と母がSさんに言うと、Sさんはしばらく考え込んでから「○○ちゃんは余ってる洋服とか無いんやろか、もし良かったらそれ貰われへんかな」と言いだしたらしい。

 

それでうちの母も「一応聞いとくわ」と答えたらしいのだけど「30歳以上年の離れた人の服なんか貰っても着られへんやんか、趣味も体型も全然違うんやし!」と母は内心呆れていたそうだ。

 

しかし、それからすぐにSさんは「事件」を起こした。詳しい事はここには書かないけれど、もうはっきりと「認知症」だと思われるような行動から引き起こされた出来事だった。

 

私は身勝手な話だけれど、Sさんを内心頼りにしていたのでものすごくショックだった。母がおかしな行動を取り始めたら連絡してほしい、とメールアドレスと電話番号を渡していたくらいだ。それなのに、先にSさんの方が認知症だと診断されるようになるなんて。

 

Sさんは以前から近所の人に「少し様子がおかしいのでは」と疑われていたようだった。母は自身がおかしくなっていたので、そこにはあまり気が付かなかったらしい。

 

母も仲良しのSさんがこんな風になってショックだろう・・・・と思っていたが、母からSさんの話は「パタリ」と出てこなくなった。普通だったら「かわいそうに」と同情する言葉くらい出てきそうなものなのに、母の態度はまるで「あ~あ!遊び相手が減っちまったぜ!」くらいの無邪気なものにしか見えなかった。

 

Sさんが居なくなり、母の話し相手が居なくなってしまう・・・と心配していたのだけれど、幸いにもスパ仲間のTさんがちょくちょく母を連れ出してくれるようになった。そしてTさんと母は二人で祇園祭を見に行く事になる。

 

 

 

 

ここひと月ほどの経過

しばらくこの記録を書かなかったのは、母の調子がこのところずっと「ほどほど」に保たれているから。自転車も再び乗れるようになっているようだし、近所付き合いも良好らしい。

 

認知症によくある「抑うつ的精神状態」が母にはまるでなく(この春に「少しおかしいのでは?」と父が気付くまではずっと「鬱っぽい」状態だったので、思えばあれが始まりで、今は次の段階に進んでいるという事なのかもしれない。)とにかくやたらと活動的になっているので、それが認知の刺激となって歯止めがかかっているのかもしれない。

 

今でも不思議なのは、この春に母がご近所のSさんと行った小旅行の事だ。その旅行の数週間前に、たしかに母は「あんな遠い所まで電車で行くのしんどいわ。リンパも取って体もボロボロの病人なんやから無理無理。」と全く行く気が無い素振りを見せていたのに、急にコロっと気が変わったどころか「楽しみやわ~」と大喜びで出かけて行ったのだ。

 

認知症が進む段階で、あれほどがらりと人格が変わったりするのだろうか。まあ「脳が縮んでいる」んだから、しょうがないんだろうけれど。

 

あとは、私と父以外には誰も母の異変に気づいていないというのが不思議でならない。認知症の人は「他人の前ではしゃんとする」とよく言われるけれど、母は友人とランチに行ったりコンサートに出かけたりしている時に、私によくやるように「同じ話を何度もループする」のをどうやってコントロールしているんだろう?

 

母の友人たちも皆60代後半なので、同じ話が続いても「うっかりしてるんだな」くらいにしか思わないのかもしれない。まあ今のところ誰かに迷惑をかけるような事は避けられているので、それは有難い事なんだけれど。

 

最近は、私も母のループに突き合うのにほとほと疲れてしまったので「同じ話だな」と気づいた時は「もう聞いたよ」と伝える事にしている。すると今日はそのやりとりがあった後に母が「あんたはなんでもよう覚えてんな。やっぱり私より若いんやな。」と感心したように言うので「1分前に聞いた話は忘れないよ」と言うと「・・・・へぇ」とわかったようなわからないような声を出していた。

 

普通なら「もうその話は聞いたよ」と何度も言われたら「私は認知症なのかも?」と不安になりそうなものだけれど、母は全くそれは気にしていないようだった。時々財布や携帯をどこかに置き忘れた時に「もう私も認知症やわ」と笑いながら言ったりするのだけれど、それはあくまでも母にとって「ジョーク」でしかないようだ。

 

母をいまだにちゃんと病院で診てもらっていないのだけれど、それというのも「この状態で認知症かどうか判断ができるのか?」という疑問と、認知症の有効な治療薬とされる「アリセプト」が「抑うつ状態の人を活動的にさせる薬」だという事がひっかかっているから。これ以上活動的になられたら心配の種が増えるだけだ。

 

もちろん「アリセプト」以外の薬の事も調べてみたのだけれど、それも似たような効能だったり、対処療法的に使用されているようだった。うちの母のようなタイプの認知症に投薬治療の意味はあるんだろうか・・・・と考えてしまう。

 

そもそも母の認知症の引き金となっているのが、乳がん手術の際の「麻酔」だったんじゃないかと思っているので、これ以上薬剤を母にはあまり飲ませたくない・・・・というのが正直なところ。

 

麻酔だけじゃなく、母が常用している睡眠導入剤抗がん剤(女性ホルモン阻害薬)も副作用として記憶障害や健忘が出ることがあるらしい。結局どれが悪いのかよくわからないけれど、加齢でそもそも脳がモロくなっている母にはどんな薬もあまり良くはないんじゃないかと思ってしまう。(抗がん剤も本当は止めさせたいくらいだ。)

 

母が活発な状態のままなら、認知のレベルもこのまま保てるかもしれない。ただしこれから梅雨がやってくる・・・・・外出できなくなったり母の好きな園芸もしばらく一休みとなると、これからの事が少し心配になっている。

 

 

 

 

 

猜疑心

先日は母の誕生日だったので、母が欲しがっていたフランク永井のCDをプレゼントする。それに対する感謝のメールは3通も届いたけれど、内容は比較的まともだった。叔父の葬儀だったり、なんやかんやでバタバタしていたのが刺激になったんだろうか?

 

私は母の症状を「前頭側頭型認知症」ではないかと思っていたのだけれど、アルツハイマーでも母のような「人格の変化」は現れるらしい。2年前の「うつ病」(だと周りは思っていた)が認知症の初期症状なら、この「ハイパーアクティブ」な状態の母はもう少し症状が進んでいると思われる。その割には見当識がしっかりしているような気がするのだ。

 

自分で買い物もできるし、家にも自力で帰ってこられる。「お悔やみの手紙を送っておいてほしい」と頼まれた叔母の住所が書かれた手紙がうちに届いたけれど、母の字でちゃんと宛名も住所も間違わずに書かれていた。(内容はとっちらかっていたけれど)

 

ただ、はっきりしているのは「何度も同じ話を繰り返す」のと「他人への猜疑心がとまらない」という事。まあでも後者は母の性格のような気がするのだけど、それを私に対して隠さないというのはやっぱり変だ。

 

私はもうあまり母と口をききたくないのだけれど(ストレスがたまるだけだから)話さないよりは誰かと話す方が脳の刺激になるのでは・・・・と一縷の望みをかけて、なるたけ毎日電話するようにしている。

 

だが何度も同じ話を聞くのは本当につらい。母が何度も言う「地元で買ったニューバランスはクズみたいな代物やった」は、どう考えても100%母が悪いのに(「色が気に入らない」「歩いてると靴の先っちょが丸まってきて苦しい」←明らかにサイズミス)スニーカーに対して(というよりも、そんな代物を売っている地元に対して)罵詈雑言が止まらない。

 

それを私が「サイズを間違えてるんちゃうか」と指摘しても、それに対する返事はない。「あぁ?とにかくあんな靴あかん!」の一点張り。ネガティブなループは特にしんどい。

 

今日は母に良くしてもらっている、ご近所のSさんの事まで悪く言い出したので、私もついキレて意地悪な対応をしてしまった。「お母さんの世界では、みんなが悪巧みしてるんやね」とチクリと。

 

すると母はお得意の「聞いて!」を連発しながら(それでなくても、母との会話は『母の話を私がただ聞いてるだけ』の一方通行な代物なのに)自分が私の言うように腹黒い人間なら、こんなに友人はできないだろうと。そしてもし仮にそういう腹黒い人間だったとしたら、それは結婚してこんなクソみたいな場所(&クソみたいな住人)に住まわされた事でそうなったのだ・・・・と。

 

この辺で夫が帰宅したので、無理やり切り上げて電話を切ってしまった。一応声を無理やり明るくして「CDでも聞いてゆっくりリラックスしてな」と労わるような言葉をかけたつもりなのだけど、母はこういう「不穏な会話」を決して忘れない。この影響がもしかしたら出てくるかもしれない。

 

 

 

 

 

叔父の葬儀

一昨日は夫が夜勤明けだったので、昼過ぎに起きてから携帯を見ると父親からの着信が。「いよいよ母が何かやらかしたか?」と思い慌ててかけ直すと母が出る。「兄ちゃん(私の叔父)が危篤なんよ。それでもう私もお父さんも大阪に来てて今病院におるから、悪いけど今夜の宿を予約しといてもらえへん?」と。

 

母の兄は数年前から患っていて、母にとっては唯一の肉親になる叔父の病状を母はいつもいつも気にかけていた。「兄ちゃんの事を考えると泣けてくる」と落ち込んでいたことも多かった。

 

しかし、母の声はあっけらかんとしていた。久々に親戚に会えたのと「夢のふるさと」に帰ってきたのがうれしいらしく電話の声ははずんでいた。

 

私はとりあえず駅近くのホテルを2泊押さえて父にその旨をメールした。そのまま叔父は早朝に亡くなったらしい。母は一人で始発の阪神電車に乗り(普段あまり歩きなれない父はすでにダウン気味だったらしい)ホテルから尼崎の病院まで行ったようだ。「早朝やから寝ぼけて一つ先の駅まで乗り過ごしてんよ!」と笑っていた。

 

叔父が亡くなって一日置いてからお通夜~葬儀という流れになったので、翌日の空きの日に合流しようかという事になった。駅近くのモールで待ち合わせしてMujiのカフェで軽食をとることになった。

 

母はやはり3分前の話を何度も繰り返していた。宿泊したホテルのレストランで隣り合わせた席の会話に割り込み、自分の話をしたんだとか。「医療の話ばっかりしてるから『お医者さんですか?』って聞いてしもてん」

 

母はこのところ、誰彼問わず会話をしたがる。異様に人懐こいというか、幼い頃の弟を思い出す。母と弟は顔も性格もよく似ている。

 

その日はもう外で夕食を食べるのは億劫だというので、近くのデパートでお惣菜を買ってホテルで食べる事にすると言う。それでデパ地下に行くと母が前から食べたがっていた「まい泉」(地元には売ってない)を見つけて、もう発狂するんじゃないかというくらいに大興奮。電光掲示板を見つけると走り寄って「(その広告に出ている人)私この人嫌いや」と、とにかく感情の抑制が効かない。

 

この日もそうだけれど、母は「最近ものすごいお腹へるねん」とやたらと食べたがる。これもやっぱり認知症の症状だろう。あと時間の間隔がどんどん狂っているのか、ほんの10日くらい前に「美容院に行ってきた」と話していたのに、ホテルの近くの1000円カットの美容院で散髪したのだと言う。「こないだ髪切ったところやんか」と私が言うと「いや1か月くらいは経ってるで」と譲らない。

 

私はこのところ体調が悪く、叔父のお通夜と葬式の出席は辞退することにした。葬式が終わった頃に母から2回に分けてメールが届く。

 

まずは1通目

「今日、お葬式が、済んだら、かえるね、○○(弟の名前)が、都会のビジネスマンに見えたわ! 演出の効いた、OHPの」

 

2通目

「故人に向けてよ! けわい師がメイクしたりよ! 絵葉書で良いから、お悔やみの言葉を示してください。」

 

これまでの中でもかなりパンチの効いた支離滅裂メールが届く。母もさすがに疲れてきたのだろう。それにしても、メールを打っている最中に浮かんだ言葉を全部伝えたくてたまらないという「尋常じゃないせっかちさ」は母をますますキチガイに見せる。

 

「お悔やみの~」の部分を考えてみると、普通だったら叔父さんの遺族に送るのが筋だろうけれど、母の場合「被害妄想」も考えられる。

 

私が体調不良により叔父の葬儀を欠席→「なんであの子来てへんねん」(私が欠席している理由を母が忘れる)→「なんで、うちの兄ちゃんの葬儀に来えへんのよ!まず私に対して失礼やわ!せめてお悔やみの電報くらいくれたらええのに!」という思考回路が今の母なら十分にありうる。

 

それで一応「お悔やみは誰に送るの?」とメールしてみると「兄ちゃんの家族によ!アドレスは帰ったら知らせるよ。」と返信が。そうよね、まだそこまでキチガイじゃなかったか。それは失敬。

 

母のメールの文面がだんだん乱れてくるので、それを考えるとどうしても気分が暗くなってしまう。とりあえず、今はまだメールが打てる状態にあるのは良しとするべきなのか。

 

 

 

 

経過

このところ、母はまともかと思えば完全に気狂いという状態を行ったり来たりしている。友人と出かけたりすると機嫌は良いのだけれど、外出先からの電話は特にループがひどくなる。これも意識を集中するのが難しくなっているからかもしれない。

 

母がこの状態になってからの変化の一つとして「夜になるとテンションがおかしくなる」というのがある。特に伝える必要性のないメール(「日記を書いたよ!うれしいよ!」というような)が夜になると届く。以前は全くそんな事はなかった。

 

一昨日、母は文箱を整理していて古いアドレス帳を見つけたらしく、それで幼馴染に連絡をとりたくなって夜遅い時間にも関わらず電話してみたのだと言う。

 

「そしたら、その〇〇ちゃんが出たんよ~。嬉しくなって『声がぜんぜん変わらへんな~いや~懐かしいな~』ってついはしゃいでしもてんけど、そしたら電話の向こうで『誰ですか?誰ですか?』ばっかり言うんよ」

 

普通は最初に名乗るのが礼儀だ。向こうからしたら、妙な時間に名乗らない相手から電話がかかってきたら恐怖だろう。母にはこういう社会性や常識がすっかり抜け落ちてしまっている。それを指摘してもまったく悪びれる様子がない。

 

母はその幼馴染と3時間ほど長電話したらしい。母の古い友人に「母はいま変なんです」と説明しておいた方が良いのだろうか。電話グセがひどくなるようなら対策をうった方が良いかもしれない。

 

今日は母との電話は無し。母から友人のTさんとスパに出かけるから今日の電話はいいわ、とメールがあったのだけど、その文面はやっぱりおかしかった。

 

「買い物すませてTさんとスパに行くよ。話があうわ。いい天気よ!明日ね。」

 

推測するに「Tさんとスパに~」とメールを打っている間に「Tさんとは話が合うわ」という事を「思いついた」のだろう。こんな風に思いついた事を取捨選択するという作業が母にはもう出来なくなっている。

 

この前も、電話するのが遅くなりそうなので「遅くなってもいい?それとも明日にする?」とメールすると、答えになっていないメールが返ってきた。(「明日、宅急便が届くよ」というような)それにイライラして「どっち?」ともう一度メールすると、それでも明確に「こうしてほしい」という内容のメールは結局返ってこなかった。

 

 

 

退行

昨日はもう一通メールが届いていて、それに気が付いたのは私が就寝する直前だった。ふと携帯電話をみると着信があるので開けてみると、母からこんなメールが届いていた。

 

「ごめん、もう遅いから寝るわ!」

 

時間帯を見るとPCに送られてきたメールとほぼ同時間になっている。どちらも私には混乱した内容に思えて、暗い気持ちのまま布団に入った。眠れないかもしれないと思ったけれど、連日のストレスのせいかすぐに眠りに落ちた。もう何も考えたくない。

 

翌日、母に「メールが2通届いてたけど、あれはどういう意味なの?」とおそるおそる電話で聞いてみると、母が言うには「PCに送った方のメールは写真を添付しようとしたけれど失敗した」と思い込み(実際はちゃんと添付できていた)それで私の携帯の方に「(写真を送ったけど失敗して)ごめん!もう遅いから明日ね!」というメールを送ったのだという。本人のなかではそれで十分納得できる説明なのかもしれないが、私にはどう考えても意味不明だと思った。

 

この説明の感じがなんとなく「子どもの言い訳みたいだな」と思う。話し方も時折「おなかすいたあ~」とか、子どもみたいな口の利き方をする。

 

子どもだから、話も自分の言いたいことだけを延々としゃべり続ける。今日は側に父がいるのか1時間ほどで解放してくれた。3日前から毎日言い続けている「ピアスのキャッチだけ買うといてほしいんやけど」はやっぱり繰り返されたけど。

 

母の症状を色々と調べてみたところ「前頭側頭型認知症」にあてはまる所が多い。物忘れは多いけれど、今のところ日常に支障が出るほどではない。私の年齢もちゃんと言えるし、買い物も一人で行けている。

 

だけど私も父も母のことを「人が変わったみたい」だと思っているし、とにかく極端に子供っぽくなってしまっている。「欲しい」と思ったらすぐ買ってしまう(幸い、今のところ少額の散財で済んでいる)という行動に集約されるような「ガマンする、抑制する」というのが難しくなっているようだ。

 

父の思惑

いつものように電話すると、電話の向うでなにやらどたばたとした雰囲気。「お父さんが急に思いたって、今からTおばちゃんの所に行ってくるわ。日帰りで明日には帰るから。」

 

Tおばちゃんは私が生まれる前から隣に住んでいたご近所さんで、最初の頃は同じ年頃の友人たちと暮らしていたが(今でいうところのルームシェア?)年月が流れていくごとに一人減り、二人減り・・・・で最後にTおばちゃんだけが残って独りになった。

 

Tおばちゃんはうちの祖母と同年代とは思えないくらいしっかりした人で、ちゃんと仕事して自活して生涯独身だった。時々作り過ぎたおかずを持ってきてくれたり、母が病気になった時も鉢植えの水やりを代わりにしてくれたり、何かとお世話になっていた。

 

だけど次第にTおばちゃんは家にひきこもるようになり、たまにご近所と顔を合わせると辻褄の合わない事を言うようになった。それで近所の人たちが相談して、おばちゃんの親戚に連絡を入れて病院で診てもらうようにお願いする事になった。

 

そこでTおばちゃんが認知症であるということがはっきりと分かった。そこから後は介護認定を受け、おばちゃんの親戚が認知症の高齢者を預かってもらうためのホームを手配し、本当にあっという間におばちゃんの家はからっぽになった。

 

私は元気な時のおばちゃんしか覚えていない。ただ覚えてるのは、誰かがプレゼントしたロボットペットをものすごくかわいがっていた事。それが壊れてしまったの・・・と悲しんでいたので、新しいものをプレゼントしてあげればよかった、と今になって思う。

 

おばちゃんがまだ元気だった頃「匂いがしない」と言い出した事がある。その時は市販の点鼻薬を使いすぎたかな?と納得していたけれど、匂いが無くなるのは認知症のサインらしい。そういえば、母も手術後に「うつ病」(だと思われていた)を発症した時「匂いがしない」と訴えていた。やっぱりあの時から始まっていたのかもしれない。

 

翌日に両親が帰宅するのを待って連絡してみると、母の弾んだ声が電話口から聞こえてくる。今度の小旅行(車で高速に乗って2時間半くらいの場所)も母にはとても楽しいものだったらしい。私からすると連日旅行しているように見えるのだけど、これはやはり父が母の状態を心配して、意識的に連れ回すようにしているのかもしれない。

 

両親がTおばちゃんに会いにホームに行くと、おばちゃんは数日前に足を怪我したらしく、その近くにある病院の方に移されていた。怪我が治ればまたホームに帰ってくるらしい。

 

おばちゃんは一人暮らしの頃より刺激があるせいか、認知の方も進んでいるどころかむしろ良くなっているように見えたと母は言う。「わたしらの事もちゃんと判ったし、あんたの話もしたんよ。全部おぼえてたわ。」

 

母はずっとTおばちゃんの事を気にしていた(隣に住んでいたのに認知症に気づいてあげられなかった)ので顔を見てほっとしたのかもしれない。この日の話は調子が良く、多少のループはあるけれどさほど気にはならなかった。ただ、一泊したホテルの食事を「全部たいらげた」のが少し気がかり。大食漢の父が残すくらいの量を?

 

あと、これも最近の傾向なのだけれど電話をするとやたらと長電話になる。たぶん時間感覚も狂っているのだろうけれど、連日おかしな話に1時間半くらいつき合わされるのはものすごくしんどい。母よりも自分が先にへたりそうだ。

 

この日の電話の中で、ホテルで売っていたカットソーが気に入って購入したという話をした。「お買い得やったわ~」と何度も繰りかえしていた。まあ、嬉しかったんだろう。

 

その日の夜にPCのメールボックスを見ると母からのメール。嫌な予感。「こんばんは!旅のついでに、掘り出し物GETしたよ!赤のステッチがみえるかな?2160よ!返信無用やで。」(原文まま)

 

昼の話をたぶんすっかり忘れているし、最近は夜になるとよく母からメールが届くのも気になる。夜になると悪化する?