始まりは

3月の初め頃に祖母が亡くなった。葬儀に出席するために実家へ帰省し、その時に一年ぶりくらいに母親と顔を合わせた。

 

母とは電話で毎日話をしていたし、その時もこれといっておかしなところは見当たらなかったと思う。ただ、一週間ほど前に電話の最中に言葉が見つからないのか「あ~」や「う~」がやたらと多いな・・・と思った時があった。

 

しかし、しばらくすると言葉はまたスムーズに出るようになっていて、葬儀の合間にはむしろよく喋る。親戚も集まっていたし「葬式ハイ」なのかな?と勝手に思っていた。

 

私は実家から離れて暮らしているので、祖母の葬式後はすぐに今の暮らしている家に戻ってきた。それから2日ほどして父からメールが届いた。

 

「母、妄想と錯乱が始まった」

 

これがPCのメールボックスに届いていたので気がつかず、2日ほど放置してしまっていた。2日遅れで慌てて父に連絡すると、ここ数週間くらい母の話が支離滅裂だと。

 

たしかに電話でもこのところずっと母のテンションがおかしくて、私も妙だと思っていた。父は人格変化は認知症のサインなのではないかと言う。だが確証が持てないのでどうしていいかわからないようだった。

 

母は5年前に乳がんの宣告を受けた。当初は余命半年くらいだと言われ、すでに肺に転移していたというのもあって手術はせずに抗がん剤のみの治療という事になった。

 

幸い、その選択が良かったのか母は普通に生活できるようになった。乳がんは徐々に小さくなって、肺の方の影は薄くなっていった。癌が完全に消える事はないけれど、本人の身体の負担が少ない今の治療を続けていこうという事になった。

 

それが2年程前の検診で、再び癌が大きくなりはじめている事が分かった。ただし、抗がん剤治療のおかげで最初に発覚した頃から比べると、癌の範囲はかなり小さくなっていた。なので、今のうちに乳がんだけでも切除しようという事になった。医者の話では肺がんに栄養(?)を供給し続けているのは乳がんなので、乳がんの方を切除すれば肺がんに作用しなくなるのではという事だった。

 

そして母は手術して、手術した周辺の細胞が癌化するのを防ぐために、2週間ほど放射線治療を受けた。母が最初におかしくなったのはこの頃だ。

 

当時の父の話では、とにかく毎日訳もなく泣いているのだと。手術したことで、むしろ生活の質はこれから向上するのを喜ぶべきなのに、母はやたらと悲観的になっていった。

 

母は長年抗がん剤(女性ホルモン阻害剤)を飲んでいたので、ホルモンバランスが崩れてうつ病になったのではないかと私たちは考え、母を心療内科で見てもらう事になった。この時点で私はうっすらと認知症を疑い始めていた。

 

まず、母に「悲観的になる理由なんか何もないよ。放射線治療は辛いだろうけど、2週間なんてあっという間に終わってしまうよ」と何度も説明するのに泣き続ける。それで「話を理解していないのでは?」と思ったのが最初。

 

それと、同じ話を何度も繰り返すようになったのもこの頃だった。これがあまり続くようなら病院の方へ相談に・・・・と思っているうちに、放射線治療が終わって母も回復していった。結局、うつ病の治療が効いたのか、放射線治療が終わって母のストレスが軽くなったことが良かったのか、今でもよくわからない。

 

ただし「唐突に泣きだす」のは、ずっと続いていたようだ。母は家族よりもご近所の仲良しSさんといる時間の方が長く、Sさんの前ではたまにそういう事があったらしい。

 

しかし、この何週間はSさん曰く「お母さんは最近すこぶる調子がええよ」とのこと。一緒によく外出したがるし、やたらと上機嫌なのでSさんはそう思ったのだろう。

 

だけど「明るくなった」のはあくまで外向きな態度で、一緒に生活している父にはネガティブな感情を爆発させる回数も多くなっていたようだ。場違いなほど上機嫌の時もあれば泣き続けてみたり・・・というのは感情の抑制が効かなくなっているのではないか。

 

母は昔から冬が苦手で春になるとやたらと活動的になる人だった。季節の影響もあるのかもしれないと、私も父もしばらく様子を見ようという結論に至った。この時点では「やたらと活動的な母」くらいの認識だったと思う。だけどすぐにはっきりとした「異変」を目の当たりにする事になった。